2015年9月27日日曜日

金木犀と『星の時計のLiddell』

9月23日(水)に、我が家の庭の金木犀が咲いているのに気付きました。春、沈丁花の花が咲くと萩尾望都先生の『ポーの一族』を思い出すように、秋、金木犀の花が咲くと内田善美先生の『星の時計のLiddell』を思い出します。

内田善美先生の『星の時計のLiddell』には、金木犀が出てきます。それも、主人公ウラジーミルの友人ヒューの夢に出てくる家に立つ木として描かれます。ヒューはやがて、その夢の家とそこにいる少女を見つけ出し、最後にはウラジーミルの前から消えてしまいます。『星の時計のLiddell』は”夢”と”予感”と”生命”が織り込まれ、文学的な薫りが漂い、圧倒的な美しさで描き出された少女マンガです。

昔、友人の部屋に内田善美先生の『星の時計のLiddell』を見つけました。尋ねると友人のお姉さんの物でした。当時、友人のお姉さんは武蔵野美術大学の学生でした。なるほどと思いました。集英社の少女マンガ雑誌「ぶ〜け」に連載されていた内田善美先生の『星の時計のLiddell』は、バブル景気の頃に出版されたハードカバーのマンガでした。同じように水樹和佳先生の『イティハーサ』や『月子の不思議』、吉野朔美先生の『天使の声』がハードカバーで出版されていました。その中でも、内田善美先生の『星の時計のLiddell』は、カバーイラストの美しさが際立っていました。私は、「ぶ〜け」に掲載されてコミックスになったマンガの何冊かは持っていましたが、内田善美先生の作品はサンリオから出版されていた「リリカ」で読んだきりでした。しかも当時は、「リリカ」に掲載された『オレンジ月夜のイカロス』や『若草物語』を描いたマンガ家が『星の時計のLiddell』を描いたマンガ家だという認識がありませんでした。
とにかく、友人宅で見て一目惚れした『星の時計のLiddell』を書店で買い求め、今も手放すことなく所蔵しています。それにしても、絶版で手に入りにくいマンガ(現在古書店では1巻3000円程の価格がついているようです。当時の定価は税込1巻910円でした。)をこうも劣悪な保存状態で所持しているのは本当に申し訳ない気がします。シミだらけ、埃だらけでボロボロです。

『星の時計のLiddell』では、どの言葉も胸に刺さるのですが、特に葉月の言葉というか、彼女について語ったジョン・ピーター・トゥーイの言葉に当時も今も共感します。
『星の時計のLiddell』に一貫して漂う何とも言えない寂しいような沁みるような雰囲気と、美しく哲学的・文学的な言葉と絵を、金木犀の香りはたちまち思い出させてくれます。私には、ヒューは少女と共に今も時空に取り込まれていると信じることができます。そして、ウラジーミルは永遠に異邦人であり続けているような気がして、それは創作された一つの少女マンガであるにも関わらず、金木犀の香りに哀しい想いがよぎるのです。
2015年9月27日(日)