2015年9月7日月曜日

アシナガバチと手塚治虫先生

私の家の門扉の左上、隣の家の二階出窓の横にアシナガバチの巣があります。

主人にアシナガバチの巣のことを話したところ、役所か業者に連絡して巣を取ってもらえと言われました。インターネットで検索するとアシナガバチは活動の止んだ夜中に殺虫剤をかければ駆除は比較的容易にできるとのことでした。巣が人の出入りが多いすぐ側にある場合は、駆除した方がよいそうですが、アシナガバチは庭木などにつくイモムシなどを食べてくれる益虫で、人に害を及ぼすことはあまりなく、巣が手に届かないような高所にある場合は無理をして取らずに共存した方が良いとのことでした。秋になると雄は死に、雌は巣を離れて越冬するということで、今年使用した巣に翌年戻ることはないそうです。それで結局、アシナガバチの巣を駆除するのはやめることになりました。

私は毎日、アシナガバチの巣を眺めます。このところ、雨が続き、場合によってはこの季節にはちょっと寒く感じるほど気温が下がる日もあります。そんな時、何匹ものアシナガバチが巣の側の壁にとまっているか、巣にしがみついてじっとしています。10月には巣を引き払うようなので、あと少しのことなのですが、例年にない気温の上下に何となくアシナガバチがかわいそうな気持ちになり、見守っている状態です。

1977年、講談社から手塚治虫漫画全集が刊行されました。まだ、手塚治虫先生はご存命で、私はリリカで「ユニコ」を読んだ影響もあり、手塚作品に興味を持っていました。それで、友人宅にあった「三つ目が通る」を読んだのですが、まだ小さかった私はすっかり怖くなって、以来、手塚作品を敬遠することになりました。黒いカバーが印象的でした。
1989年、昭和が平成元年になった直後、手塚治虫先生が亡くなると手塚治虫漫画全集が増刷され書店にたくさん並びました。その頃には手塚作品への恐怖もなくなり、私は兼ねてからきちんと読みたいと思っていた「ミクロイドS」を購入しました。子どもの頃に一生懸命に見たTVアニメだったからです。

「ミクロイドS」は虫と人間の戦いです。マンガ版はアニメ版よりうんとシリアスな展開でした。最後にはあわや人間が負けるのか?というところで、虫に攻撃されない人間が出てきます。浮浪者のようなみすぼらしい姿をした二人(確か二人だったと思うのですが、三人かも)の男性は生まれてから一度も虫を殺したことがないというのです。だから、虫も彼らを攻撃しないと。このシーンがずっと私の胸に残り、できるだけ虫を殺さないで生きようと考えしばらくは実行にうつしていました。でも結局、まだ話すこともできない赤ん坊だった娘が「あ〜ん」と泣いた時、娘の額に止まって血を吸っている蚊を見つけ躊躇なくパチンと叩いて以来、虫を殺さないという誓いは脆くも崩れたのでした。

それ以来、蚊とかゴキブリとか毛虫だとか害虫と認識される色々な虫を駆除してきました。それでも、ふと「ミクロイドS」に描かれた「一度も虫を殺したことのない男性」を思い出すことがありあります。そこに込められた虫好きの手塚治虫先生の気持ちを考えるのです。どんな気持ちであの作品を描いたのでしょうか。ギドロンのように高知能を持った虫というのはあり得なくても、スズメバチ、セアカコケグモ、デング熱を媒介するヒトスジシマカ、今でも人が恐れる虫はいます。やがては人の手に負えなくなるほど恐ろしい虫が現れ逃げ惑う日が来るのでしょうか。

にわか平和主義的意見で笑われてしまうかもしれませんが、私は、無駄な殺生をせず、虫の特性を理解して、平和に共存を続けられたら良いと願うのです。
2015年9月7日(月)