2015年9月21日月曜日

安保法案成立と『はみだしっ子』

2015年9月19日(土)、参院本会議で安保法案が成立しました。参院特別委員会で理不尽な強行採決が行われ、その様子をTV中継で見て愕然とした、その翌々日のことです。

「僕は友達と遊ぶ約束をした。でも、お母さんは、昼間は学校に行かないといけないと言うんだ。おまけに宿題もしろって言うんだ。僕はどうしても友達と遊びたいんだ。僕はそんな風に決められたことを守るのはまっぴらだ。友達との約束を守りたいんだ。だから、お母さんを無視した。学校もサボった。宿題なんて適当にやればいいんだ。何しろ、僕には仲間がたくさんいる。仲間だって宿題は適当でいいって、その後のことは助けてくれるって言ってるよ。」

僕は「安倍晋三首相」。友達は「アメリカ」。遊びは「集団的自衛権(安保法案)」。お母さんは「日本国憲法」。学校は「憲法改正」。宿題は「国民と野党への説明と理解を得る」こと、仲間は「与党議員」です。

TVの街頭インタビューを見ていると「今の日本には必要な法案だから今回の安保法案成立は良かったと思います。」という人もいます。でも、お母さんは無視され、手順を踏まず、「僕」は自分の思い通りにしました。もし、この質問が「今日、参議院で安保法案が成立されました。これについてどう思いますか?」という質問ではなく、「今日、少年がお母さんの止めるのも聞かず、学校に行かずに友達と遊びました。これについてどう思いますか?」と聞かれたら、「友達との約束は大事だから、学校に行かなくて良かったと思います。」と答えるのでしょうか?

私は ふと、三原順先生の『はみだしっ子』の作中で行われた裁判と、グレアムとフランクファーターとのやりとり、そして、ジャックがマックスにした説明を思い出しました。

『はみだしっ子』はその物語の後半、「Part19 つれて行って」でグレアムが刺され、養父ジャックが少年リッチーを相手に裁判を起こします。リッチーが立てた弁護人はフランクファーター。とても頭の良い男で、反対尋問で証人を次々と自爆させてしまいます。私のような読者には、リッチーが悪意を持ってグレアムを刺したことは明白なのですが、裁判は思うように進まず、リッチーは無罪になるのでは?という不安が生まれます。それを、グレアムが裁判所の外で謀略を巡らせ、自分が再びリッチーに刺されることで最後には勝訴するのです。

グレアムは被告側の弁護人フランクファーターに言います。「(裁判には)実際の…彼らをとめる手だてになれと!そうでなければ法律がどうして実際的なものでいられるの?(中略)あんたは個人の美しい理想として彼らを寛大に扱えと言い 人々はそこに引きこもる」「つまりこう?あんたは”正義なんかくそくらえ!美徳なんか虚飾にすぎない 悪に自由を!”というのが手の内」(引用  三原順:著  愛蔵版『はみだしっ子【全集】第5巻』 p17、p18、p21)

ここで、グレアムが語るのは裁判のことなのですが、憲法もまた、日本を動かす政治家が誤った方向に進まないように規制するために存在する法律なのですから、これを与党の政策を通すための理由で無視することを許すことはできません。

また、反対尋問でことごとく原告側の証人から被告有利の証言を得るフランクファーターのやり方に対してマックスがジャックに質問します。ジャックは言います。「例えば、橋の下で眠ってはいけないという法律があるとしてこれを守らない者は誰でも…どんな金持ちの人でもどんなに立派な仕事をしている人でも それにどんな素敵な美人でもね…みんな罰せられるのだとしたら どう?平等だと思う?」マックスは「うん!そういうのっていいと思うよボク! 特別な人達だけ許されるんじゃ頭にくるもの!」と答えます。これにジャックは「そう?じゃ…こう聞いたら?けれど実際橋の下なんかで眠らなければならないのはとても貧しい人達で…だからこの法律は弱い人達をさらにいじめるのに役立つだけなんだ…と もう一度さっきのように すぐ平等だと答えられるかい?マックス? つまりリッチーの弁護人(フランクファーター)は後の言い方をしているんだ わかるかい?」と説明します。(引用  三原順:著  愛蔵版『はみだしっ子【全集】第4巻』 p385、p386)

確かに、安保法案を「廃案にすべき」だという一方からの否定的な意見を、もう一方で「今の日本には必要な法律だ」と視点を変えて主張することはできます。でも、賛成側のつまり与党のやり方はフランクファーターのように狡猾ではありませんでした。説明は筋が通っていなかったため、時には転じ、時には別の説明が用いられました。

個人的には「安保法案」は廃案にすることが望ましいと思います。法案を通してから時間をかけて理解してもらいたいと語る総理大臣を、ただの独裁者だと感じるのは極端な考えでしょうか?憲法を無視した時点で、極端な考えではなくなったと思います。多くの人々が危惧しているのは、「安保法案」が成立したことが、手順を踏まずに法案を通すことを当たり前とする規制のない独裁国家への第一歩になることなのではないでしょうか。
2015年9月21日(月)