2015年9月29日火曜日

福山雅治さん結婚とグレアムの恋人

昨日9月28日(月)、ミュージシャンの福山雅治さんがご結婚されました。おめでとうございます。
このニュースを知った福山雅治ファンはショックのあまり会社を早退したり、家事が手につかなくなったり、大変だったようですね。

ほぼマンガブログであるここになぜ芸能人の話を書くのか?それは、私の主人が福山雅治さんのファンだからです。ブログといえば、公開日記のようなものですから、備忘録的な意味も込め、書いておかなければ…と思ったわけです。

好意を寄せる男性に恋人が発覚したとか、結婚したとか、そういう話題でショックを受けたのは、確か三原順先生の『はみだしっ子』のグレアムがダナと一夜を共にした時でしょうか。その前にキスシーンもあったのですが。小学5年生のグレアムに恋する少女にとっては、それはもうショックな出来事でした。
『はみだしっ子』では、マックスはまだまだ幼く恋愛の話は論外でしたが、アンジーにはフーちゃんがお似合いだと勝手に思っていましたし、サーニンはクークーという相手がいました。大好きなグレアムは真面目で硬くてそういう浮いた話はないだろうと勝手に安心していたところに、最後の最後にカウンターパンチをくらった形になりました。作中では、グレアムはまだ14歳か15歳で、一体ダナは幾つなんだろう?という疑問が今でも残っています。
続いてファンになったTVアニメ『銀河漂流バイファム』のロディ・シャッフルも、年上のケイトさんとのキスシーンがあり、少年と大人の女性のカップルというのは、私にとってはちょっと避けたいパターンとなりました。

福山雅治さんのお相手は、13歳年下の吹石一恵さんです。特に吹石一恵さんのファンというのではないのですが、このところTVで妙に目を引く人でした。木村拓哉さん主演の「アイムホーム」でも不倫相手の役で出ていましたし、数日前にもTVのバラエティ番組?に出演されていて、靴にこだわりがありハイヒールをたくさん持っていると話していました。吹石一恵さんの買い物にも同行して、彼女がユニクロの下着を購入するという場面もあり、ああ、ユニクロの下着のCMに出てるから…と妙に納得しながら見ていましたが、目を引いたのは結婚間近の幸せオーラが出ていたからかもしれませんね。
毎年、「冬の大感謝祭」で「重大発表があります」と福山雅治さんが口にする度、今年こそ結婚か!?とドキドキしましたが毎年新曲発表で、あんまり毎年肩すかしをくうので、もう一生独身なのかな?と思った矢先の出来事でした。今年の「冬の大感謝祭」はファンの皆さんの結婚おめでとうコールで会場が盛り上がるのではないでしょうか。
2015年9月29日(火)

2015年9月27日日曜日

金木犀と『星の時計のLiddell』

9月23日(水)に、我が家の庭の金木犀が咲いているのに気付きました。春、沈丁花の花が咲くと萩尾望都先生の『ポーの一族』を思い出すように、秋、金木犀の花が咲くと内田善美先生の『星の時計のLiddell』を思い出します。

内田善美先生の『星の時計のLiddell』には、金木犀が出てきます。それも、主人公ウラジーミルの友人ヒューの夢に出てくる家に立つ木として描かれます。ヒューはやがて、その夢の家とそこにいる少女を見つけ出し、最後にはウラジーミルの前から消えてしまいます。『星の時計のLiddell』は”夢”と”予感”と”生命”が織り込まれ、文学的な薫りが漂い、圧倒的な美しさで描き出された少女マンガです。

昔、友人の部屋に内田善美先生の『星の時計のLiddell』を見つけました。尋ねると友人のお姉さんの物でした。当時、友人のお姉さんは武蔵野美術大学の学生でした。なるほどと思いました。集英社の少女マンガ雑誌「ぶ〜け」に連載されていた内田善美先生の『星の時計のLiddell』は、バブル景気の頃に出版されたハードカバーのマンガでした。同じように水樹和佳先生の『イティハーサ』や『月子の不思議』、吉野朔美先生の『天使の声』がハードカバーで出版されていました。その中でも、内田善美先生の『星の時計のLiddell』は、カバーイラストの美しさが際立っていました。私は、「ぶ〜け」に掲載されてコミックスになったマンガの何冊かは持っていましたが、内田善美先生の作品はサンリオから出版されていた「リリカ」で読んだきりでした。しかも当時は、「リリカ」に掲載された『オレンジ月夜のイカロス』や『若草物語』を描いたマンガ家が『星の時計のLiddell』を描いたマンガ家だという認識がありませんでした。
とにかく、友人宅で見て一目惚れした『星の時計のLiddell』を書店で買い求め、今も手放すことなく所蔵しています。それにしても、絶版で手に入りにくいマンガ(現在古書店では1巻3000円程の価格がついているようです。当時の定価は税込1巻910円でした。)をこうも劣悪な保存状態で所持しているのは本当に申し訳ない気がします。シミだらけ、埃だらけでボロボロです。

『星の時計のLiddell』では、どの言葉も胸に刺さるのですが、特に葉月の言葉というか、彼女について語ったジョン・ピーター・トゥーイの言葉に当時も今も共感します。
『星の時計のLiddell』に一貫して漂う何とも言えない寂しいような沁みるような雰囲気と、美しく哲学的・文学的な言葉と絵を、金木犀の香りはたちまち思い出させてくれます。私には、ヒューは少女と共に今も時空に取り込まれていると信じることができます。そして、ウラジーミルは永遠に異邦人であり続けているような気がして、それは創作された一つの少女マンガであるにも関わらず、金木犀の香りに哀しい想いがよぎるのです。
2015年9月27日(日)

2015年9月24日木曜日

LaLa11月号 その2は読んだ感想。

時計野はり先生の「学園ベビーシッターズ」は、巻頭カラーですが、私の中の「学園ベビーシッターズ」は人気はあるけれど地味なイメージ(悪い意味ではなく)なので、巻頭に来るとちょっとびっくりします。せっかく巻頭なんだから竜一くんが主役のお話を期待しましたが、内容は双子の数馬と拓馬です。チョキチョキと髪を切って貰って…さてどうなるでしょうか?いつもながら、可愛らしいお話です。今回は40pの狼谷くんがGoodです!

あきづき空太先生の「赤髪の白雪姫」、今回は合成熱煌晶石の作り方を白雪と鈴がラタ・フォルゼノさんに習うお話です。展開は…頭の悪い私は読み返して読み返して、この理科実験的展開の内容を理解しようとして挫折しました。私が合成熱煌晶石を作るわけじゃないんだし、これはマンガなんだしと自分の理解力の低さを誤魔化し、いつもの会話と絵と展開の面白さだけに目を向けることにしました。オリンマリスの実験、上手くいくといいですね。

天乃忍先生の「ラストゲーム」、柳のお父さんと九条がデートです。「ありがとうございます」と嬉しそうな九条の顔が可愛いですね。でも、次回に繋がる展開としてはベタな感じです。さて、これから少女マンガにありがちな展開になっても、「ラストゲーム」らしさが出ていれば楽しく読めるかなと思います。

弓きいろ先生/原作:有川浩先生の「図書館戦争 別冊編」 は、前半の事件は置いておいて、後半は…少女マンガなのにラブラブが濃すぎる気がします。堂上教官もう少しお手柔らかに お願いします。

緑川ゆき先生の「夏目友人帳」は、今回、妖ではなく人間の新キャラ登場です。名取が陣を描きながら新キャラ依島の話をする横顔が印象的でした。10番目の案山子くんは、目鼻があるわけでもないのに、何となく可愛いと思ってしまいました。

池ジュン子先生の「水玉ハニーボーイ」、今回は脳筋と言われる七緒をちょっと見直したりして。藤ママが藤パパに送ったメールが良かったです(笑)

葉山ビスコ先生の「ウラカタ‼︎」、天馬叶夢に焦点が当たる回です。現代シネマ研究会の警護の指令がとんできます。一澄先輩の対応力は私も見習いたいですね。

藤原ヒロ先生の「ユキは地獄に堕ちるのか」は、今回は春花の子どもの頃の出来事などが語られ、春花がクローズアップされています。またまた私の予想を裏切られました。こういう展開になるとは思いませんでした。って、毎回言っていますね(笑)

可歌まと先生の「狼陛下の花嫁」、氾紅珠が暴走(妄想?)して楽しい回です。次回からの展開も見えてきました。猫みたいな刺客はこれからやってくるお客様の密偵なのですね。どんなお客様なのでしょうか?楽しみです。

石原ケイコ先生の「花嫁と祓魔の騎士(エクソシスト)」、隣町お出掛け編です。なかなか、メフィストが出てきませんね。連載が長くなるのかな?どのキャラも一見さんなのかなと思うと、話を回すレギュラーキャラがあと何人か欲しいところです。二人だけで回していると何となく物足りない感じですね。

夢木みつる先生の「砂漠のハレム」はLaLaDXでずっと読んでいますが、元気でがさつなヒロインのミーシェに一見俺様だけどイケメンで優しい王子カルムのやりとりが楽しいお話です。LaLaDXでも毎回楽しく読んでいますが、連載ではミーシェが海賊に捕まった危険な状態です。今回は本誌用の特別編なので、連載とは関係ない物語になっています。壺を被ったカルム王子はなかなか良いのではないかと勝手に思っています。壺は良い小道具でした。ミーシェが壺に描いた顔は娘に大ウケでした。

にざかな先生の「4ジゲン」、柏木先生の説明最高でした。

晴海ひつじ先生の「ツインロール」は集中連載最終回ですが、まだまだ続く終わり方でした。個人的には、それほど引っ張らないで泉と瑳神にはまとまって欲しかったです。でも、まだ続くということは評判が良かったということですね。
2015年9月24日(木)

LaLa11月号 その1は目次のみ。

LaLa11月号を読みました。

9月24日(木)、朝から曇天で午後3時から雨が降ってきました。雨が降る前にと急いでLaLa11月号を買いに近所のスーパーまで自転車を走らせました。昨日一昨日と比べると明らかに肌寒い今日、あちこちで金木犀の香りをかぎました。例年より早いような気がしましたが、昨年はいつ頃咲いたのか覚えていません。我が家の金木犀の開花は今年は9月23日でした。

表紙:弓きいろ先生の「図書館戦争」堂上と堂上演じる岡田准一さん マンガと実写のコラボ。表2(表紙の裏)から映画とTV放送の「図書館戦争」のお知らせと岡田准一さんと榮倉奈々さんのLaLa独占インタビュー記事です。

総ページ数:510p
タイトル/作者/ページ数/掲載ページ/作品形態

「学園ベビーシッターズ」第69回 時計野はり先生 巻頭カラー30p 14p〜 [連載]
「赤髪の白雪姫」第70話 あきづき空太先生 28p 49p〜 [連載]
「ラストゲーム」GAME.48 天乃忍先生 30p 81p〜 [連載]
「図書館戦争 別冊編」INDEX.7 弓きいろ先生/原作:有川浩先生 カラー扉 29p 113p〜 [連載]
「夏目友人帳」とうかんやの章 緑川ゆき先生 45p 149p〜[連載]
「水玉ハニーボーイ」#15 池ジュン子先生 カラー扉 29p 195p〜 [連載]
「ウラカタ‼︎」シーン13 葉山ビスコ先生 30p 229p〜 [連載]
「ユキは地獄に堕ちるのか」第十九道・人間として 藤原ヒロ先生 30p 263p〜 [連載]
「狼陛下の花嫁」第74話 可歌まと先生 29p 297p〜 [連載]
「嫁姑教室」柏屋キクゾー先生 3p 326p〜 [連載]
「花嫁と祓魔の騎士(エクソシスト)」episode.03 石原ケイコ先生 32p 329p〜 [連載]
「うそカノ」Lie.32 林みかせ先生 29p 361p〜 [連載]
「砂漠のハレム」夢木みつる先生 カラー扉 40p 393p〜 [読切]
「4ジゲン」にざかな先生 7p 434p〜 [連載]
「ツインロール」最終回 晴海ひつじ先生 40p 445p〜 [集中連載]
読者ページ「しーたけの進め乙女道」5p 498p〜

次に上記ラインナップの中から、個人的に気になったものについて書かせていただきます。
2015年9月24日(木)

2015年9月21日月曜日

安保法案成立と『はみだしっ子』

2015年9月19日(土)、参院本会議で安保法案が成立しました。参院特別委員会で理不尽な強行採決が行われ、その様子をTV中継で見て愕然とした、その翌々日のことです。

「僕は友達と遊ぶ約束をした。でも、お母さんは、昼間は学校に行かないといけないと言うんだ。おまけに宿題もしろって言うんだ。僕はどうしても友達と遊びたいんだ。僕はそんな風に決められたことを守るのはまっぴらだ。友達との約束を守りたいんだ。だから、お母さんを無視した。学校もサボった。宿題なんて適当にやればいいんだ。何しろ、僕には仲間がたくさんいる。仲間だって宿題は適当でいいって、その後のことは助けてくれるって言ってるよ。」

僕は「安倍晋三首相」。友達は「アメリカ」。遊びは「集団的自衛権(安保法案)」。お母さんは「日本国憲法」。学校は「憲法改正」。宿題は「国民と野党への説明と理解を得る」こと、仲間は「与党議員」です。

TVの街頭インタビューを見ていると「今の日本には必要な法案だから今回の安保法案成立は良かったと思います。」という人もいます。でも、お母さんは無視され、手順を踏まず、「僕」は自分の思い通りにしました。もし、この質問が「今日、参議院で安保法案が成立されました。これについてどう思いますか?」という質問ではなく、「今日、少年がお母さんの止めるのも聞かず、学校に行かずに友達と遊びました。これについてどう思いますか?」と聞かれたら、「友達との約束は大事だから、学校に行かなくて良かったと思います。」と答えるのでしょうか?

私は ふと、三原順先生の『はみだしっ子』の作中で行われた裁判と、グレアムとフランクファーターとのやりとり、そして、ジャックがマックスにした説明を思い出しました。

『はみだしっ子』はその物語の後半、「Part19 つれて行って」でグレアムが刺され、養父ジャックが少年リッチーを相手に裁判を起こします。リッチーが立てた弁護人はフランクファーター。とても頭の良い男で、反対尋問で証人を次々と自爆させてしまいます。私のような読者には、リッチーが悪意を持ってグレアムを刺したことは明白なのですが、裁判は思うように進まず、リッチーは無罪になるのでは?という不安が生まれます。それを、グレアムが裁判所の外で謀略を巡らせ、自分が再びリッチーに刺されることで最後には勝訴するのです。

グレアムは被告側の弁護人フランクファーターに言います。「(裁判には)実際の…彼らをとめる手だてになれと!そうでなければ法律がどうして実際的なものでいられるの?(中略)あんたは個人の美しい理想として彼らを寛大に扱えと言い 人々はそこに引きこもる」「つまりこう?あんたは”正義なんかくそくらえ!美徳なんか虚飾にすぎない 悪に自由を!”というのが手の内」(引用  三原順:著  愛蔵版『はみだしっ子【全集】第5巻』 p17、p18、p21)

ここで、グレアムが語るのは裁判のことなのですが、憲法もまた、日本を動かす政治家が誤った方向に進まないように規制するために存在する法律なのですから、これを与党の政策を通すための理由で無視することを許すことはできません。

また、反対尋問でことごとく原告側の証人から被告有利の証言を得るフランクファーターのやり方に対してマックスがジャックに質問します。ジャックは言います。「例えば、橋の下で眠ってはいけないという法律があるとしてこれを守らない者は誰でも…どんな金持ちの人でもどんなに立派な仕事をしている人でも それにどんな素敵な美人でもね…みんな罰せられるのだとしたら どう?平等だと思う?」マックスは「うん!そういうのっていいと思うよボク! 特別な人達だけ許されるんじゃ頭にくるもの!」と答えます。これにジャックは「そう?じゃ…こう聞いたら?けれど実際橋の下なんかで眠らなければならないのはとても貧しい人達で…だからこの法律は弱い人達をさらにいじめるのに役立つだけなんだ…と もう一度さっきのように すぐ平等だと答えられるかい?マックス? つまりリッチーの弁護人(フランクファーター)は後の言い方をしているんだ わかるかい?」と説明します。(引用  三原順:著  愛蔵版『はみだしっ子【全集】第4巻』 p385、p386)

確かに、安保法案を「廃案にすべき」だという一方からの否定的な意見を、もう一方で「今の日本には必要な法律だ」と視点を変えて主張することはできます。でも、賛成側のつまり与党のやり方はフランクファーターのように狡猾ではありませんでした。説明は筋が通っていなかったため、時には転じ、時には別の説明が用いられました。

個人的には「安保法案」は廃案にすることが望ましいと思います。法案を通してから時間をかけて理解してもらいたいと語る総理大臣を、ただの独裁者だと感じるのは極端な考えでしょうか?憲法を無視した時点で、極端な考えではなくなったと思います。多くの人々が危惧しているのは、「安保法案」が成立したことが、手順を踏まずに法案を通すことを当たり前とする規制のない独裁国家への第一歩になることなのではないでしょうか。
2015年9月21日(月)

2015年9月18日金曜日

小椋冬美先生のふわふわした丸いもの

先日、佐藤真樹先生について書いたせいで当時の作品が懐かしくなり、小椋冬美先生の『リップスティック・グラフィティ』を本棚から引っ張り出して読み返しました。多くの少女マンガをせっせと買い集めた子ども時代、「集める」という行為にハマり、好きになったマンガ家のコミックスはとにかく何でも揃えていましたが、社会人になって転居を繰り返すうちに、持ち物を整理するようになりました。リボンで描かれていたマンガ家では、小椋冬美先生と陸奥A子先生が、一人暮らしのアパートの押入れの中にいつまでも残っていましたが、結局、今でも手元にあるのは小椋冬美先生の『リップスティック・グラフィティ』の前後編2冊と『ごめんねダーリン』の計3冊です。もちろん、陸奥A子先生の『こんぺい荘のフランソワ』や『天使も夢見るローソク夜』『まぼろしの銀の匙』など、どれもとても素敵なお話で大好きでした。今思い出すと何で手放したのか後悔するばかりですが、山ほどの後悔を拾って眺めても仕方がないので、今あるものの話をします。

小椋冬美先生は、リボンからヤングユーやその他の雑誌へと活躍の場を移し(フリーになったそうです)ヒロインも高校生から大人の女性になりました。『オリーブの木陰』や『天のテラス』までは作品を集めていましたが、1995年を過ぎると私のマンガ離れが始まり、それきり読まなくなりました。最初の会社を辞めて、一人暮らしをやめて実家に帰り、バイクに乗ってツーリング仲間も出来たし、そういう環境の変化もあって私の中でマンガが占める位置が大きく変わった時期でした。収集はやめても、30歳を過ぎるまではマンガは残してありました。多分、心理学の勉強を始めて心の中が整理できたことが大きかったのかもしれません。30歳を過ぎて自分が持っていたマンガの3分の2は処分しました。その時に『リップスティック・グラフィティ』と『ごめんねダーリン』を手元に残した理由は、わかりません。『Mickey』だって『さよならなんていえない』だって大好きだったのに…。

『リップスティック・グラフィティ』では、ヒロインにこれといって大きな問題が目の前に立ちはだかっているいるわけではなく、ただ坦々とした生活の中でささいな出来事によって心に波が立つヒロイン街子と、街子の一見対局にいるようなクラスメイト神子が少しづつ分かり合っていく様子と、二人の少女の始まったばかりの恋心を、センスある会話と雰囲気ある絵で描き出しています。『Mickey』ではスケートが『さよならなんていえない』では恋心が前面に出ているのとは少し違うイメージを持つのです。また、ヤングユーやmimiで小椋冬美先生が描かれた、描き込み過ぎないおしゃれな大人のイメージを持ったマンガとも明らかに違います。『リップスティック・グラフィティ』はヒロイン街子のモノローグが印象的です。小椋冬美先生の作品は、この後、作風が大人っぽくなり、モノローグも必要最小限に減ります。マンガを評論する方が少女マンガに心理描写として多用される「花」と同様「ふわふわした丸いもの」が心情の描写として描かれることを指摘していましたが、その「ふわふわした丸いもの」、私には舞い散る花びらや葉っぱに見えますが、もちろん現実に花びらが空中にふわふわ浮いているのは桜の時期位なものなので、効果線と同じく心理描写の一つではありますが、これが『リップスティック・グラフィティ』には多用されています。そして、その描写が少女マンガ”らしさ”を際立たせ、読み手にロマンティックな雰囲気を与えているような気がします。また、細くスラリとした手脚に制服のスカートがふわりと広がっているスタイル画のような少女の立ち姿が所々に描かれ、これも独特の雰囲気を醸し出しています。

2年後に描かれた『ごめんねダーリン』は、このスタイル画のような少女の立ち姿は、連載開始時の扉絵に描かれた位で、(これはヒロインがパンツにエプロン姿の家政婦という設定のせいもあるかもしれません)「ふわふわした丸いもの」はラストシーンに出現するのみです。『リップスティック・グラフィティ』以前の小椋冬美先生は、田渕由美子先生や陸奥A子先生を評する際に使われるカテゴリ「乙女チックラブコメ」の範疇なのかもしれません。要するに、私が乙女チックラブコメを潜在的に支持し、しかし、陸奥A子先生などの王道的作品は意識的に排除した結果として、乙女チックラブコメの香りを残す『リップスティック・グラフィティ』と『ごめんねダーリン』が残されたということなのでしょうか。

ともかく、『リップスティック・グラフィティ』と『ごめんねダーリン』は今も私の書棚に収まっています。こうして時々読み返すと、そこに描かれた透明感ある少女たちの心に触れて、何か心地よい思い出のような気持ちに浸れるのです。
2015年9月17日(金)

2015年9月17日木曜日

真夜中ではない「メリー・ゴーラウンド」

リボンで描いていた佐藤真樹先生の「月夜と音楽家シリーズ」をふと思い出し、調べてみました。私は、「月夜と音楽家シリーズ」の『真夜中のメリーゴーランド』だったと記憶していて、ネットで検索すると大橋トリオの『真夜中のメリーゴーランド with 手嶌葵』がヒットしました。仕方ないので「月夜と音楽家シリーズ」で検索すると、出てきました。図書館で所蔵されているマンガ、アニメーション、ゲーム、メディアアートが検索出来る「メディア芸術データベース」というのがあるのですね。初めて知りました。このサイトで、 1982 年の1月と2月に発売のリボンに前後編で掲載された佐藤真樹先生の『メリー・ゴウーラウンド』を見つけました。「真夜中」はついていませんね。「メリーゴーランド」ではなく「メリー・ゴーラウンド」でした。記憶というのは本当にいい加減ですね。でも、コミックスを持っていたわけでもなく、1982年の1月に読んだだけのマンガを33年後の今も覚えているのですから、まぁまぁの記憶力かもしれません。「メディア芸術データベース」では、検索できたのは雑誌のデータベースでコミックスの方は検索されなかったので、手に入った情報は雑誌の掲載マンガ一覧でした。コミックホームズさんのサイトの図書館版みたいな感じですね。

掲載マンガの一覧を見ると、太刃掛秀子先生の『風がはこぶだろう』、小椋冬美先生の『リップスティック・グラフィティ』、池野恋先生の『めちゃんこ教室』、小田空先生の『空くんの手紙』、萩岩睦美先生の『小麦畑の三等星』、金子節子先生の『どろんこアドバンテージ』などでした。タイトルのラインナップを見ただけで当時を思い出し、何だかワクワクします。池野恋先生は『ときめきトゥナイト』の連載前で、絵もかわいく、お話も楽しくて当時は大好きでした。『ときめきトゥナイト』はテレビアニメにもなり爆発的に人気が出たので実はちょっと苦手なんですが、当時はやっぱりテレビアニメが気になって時々観ていました。なぜかオープニングの歌詞もバッチリ記憶していて今でも歌えます…。十代の頃に覚えたものというのは結構覚えているものです。小椋冬美先生の『リップスティック・グラフィティ』は今もコミックスを持っています。普通のラブストーリーなのですが、小椋冬美先生が描くと絵も台詞もちょっとおしゃれというか、垢抜けた感じで憧れが強くて今も大好きな作品です。萩岩睦美先生の『小麦畑の三等星』は超能力のある女の子のお話で、萩岩睦美先生は作中に笑いをとるシーンもちゃんとあるのですが、話の核心に迫っていくと、なかなかシリアスな展開になっていったと思います。それは『銀曜日のおとぎばなし』もそうだったと記憶しています。

さて、肝心の佐藤真樹先生の『メリー・ゴーラウンド』ですが、どういう内容かざっくり説明します。というか、ざっくりしか記憶にありません。何しろ33年前ですから。
音楽家の男四人で暮らす家の前に赤ん坊が一人捨てられました。彼らはその赤ん坊を大事に育てます。赤ん坊は優しい娘に育ち、四人のパパの世話をしながら楽しく暮らしていました。ある時、よそからやってきた便利屋の青年と親しくなります。木馬は音楽家の家にあったのか記憶がはっきりしないのですが、古くなった木馬を便利屋をしていた青年が直してくれて娘は青年と親しくなります。娘は青年に「四人のパパと遊園地に行った時、メリー ・ ゴーラウンドに乗るとよその子は両親の立つ一箇所でしか手を振らないのに、四人のパパは分かれてメリー・ゴーラウンドの周りに立っていて、一人のパパに手を振り終わると次のパパに手を振り、そうしてずっと手を振りっぱなしで、自分には本当の親はいないけれど、四人のパパに大切に育てられて幸せなのだと分かった」という話をするのでした。しかし、青年は実の兄に追われています。青年の兄はピアニストで弟のせいで怪我をして二度とピアノが弾けなくなり、弟を恨んでいます。青年を追いかけ、落ち着いた街で弟の悪い評判を立てそこにいられなくなるように仕向けるのでした。青年は街を去り、青年に恋した娘は残されてしまいます。兄は娘と話をして、弟を恨むことをやめるんだったと思いますが…。娘は四人のパパを置いて家を出てはいけません。しかし、四人のパパはふさぎこむ娘に青年を追っていくように促し、娘は家を出て行く。というお話だったと思います。

この「月夜と音楽家シリーズ」は他に『猫語のシャンソン』『いつか聴いた歌』『星が音符になった夜』などありました。『星が音符になった夜』は体の弱い音楽好きの男の子を弟に持つ男の子とオーケストラメンバーの両親を持つ元気な女の子が知り合い、オーケストラのメンバーが男の子の家の外で演奏して男の子を元気付けるお話だったと思います。まぁ、古い記憶なので、間違っているかもしれません。大事にコミックスを持っている方には「なんてデタラメな説明だ!」と憤慨されるかもしれませんね。

でも、はっきりしているのは『メリー・ゴーラウンド』で遊園地で四人のパパに手を振るエピソードです。それから、さっきの説明には書きませんでしたが、青年が出て行ってふさぎこんだ娘を見て四人のパパが心配するシーンです。「どうしよう、娘があんなに悲しんでいる」と、四人のパパは娘に何をしてやったら良いのか四人で決めるのです。そして、娘を送り出すのです。じんわり心にしみる素敵なマンガでした。
33年前の記憶をたぐり寄せただけなのですが…佐藤真樹先生の『メリー・ゴーラウンド』は、とても素敵なお話でした。ずっとタイトルを『真夜中のメリーゴーランド』だと思っていましたけど。
2015年9月17日(木)

2015年9月15日火曜日

ゼンマイ仕掛けのロビンちゃん

テレビをつけたら、映画の宣伝で神木くんと佐藤くんとヒロインの小松さんが出ていました。「バクマン」の映画は、もう公開が近づいているのですね。10月3日公開です。マンガを描くシーンがプロジェクションマッピングだというので、ちょっとびっくりしました。主人も楽しみにしているので、上映期間中のどこかで子どもを預けて出かけたいと思っています。

高木役の神木隆之助くんは、2005年公開の妖怪大戦争で主演をしました。当時、まだ付き合い始めたばかりの主人と「妖怪大戦争」を観に行きました。神木隆之介くんがとても可愛かったという印象があります。客観的な映画の出来や評判はともかく、メッセージの込められた良い映画だったと思います。豆を取ろうとするシーンが、当時、豊川悦司さんが出ていたテレビCMのパロディになっていて、面白かったことも記憶しています。
あの頃、12歳だった子役の神木隆之介くんも、もう22歳です。時の経つのは早いものです。

マンガをほとんど読まない主人は、大抵は原作ファンの私がテレビドラマ化されたものを見る時に一緒にドラマを見てハマり、マンガも読むというパターンです。結婚してすぐは、「のだめカンタービレ」でした。それから「とめはねっ!」「バクマン」、ドラマではありませんがアニメ化の「境界のRINNE」。でも今、主人が一番ハマっているのは「ど根性ガエル」です。9月12日の放映は私も泣かされました。
原作の吉沢やすみ先生は、「やすみ」というので女性かと思っていました。しかも、原作は一度も読んだことがありません。アニメは多分1972年版のものの再放送だったのだと思いますが、平日夕方、楽しみにして見ていました。
今、ぴょん吉Tシャツが売れているそうですが、12日の放映では五郎(勝地涼)が話す時にいつも語尾につける「やんす」の「YANSU」Tシャツを着ていて、「これ欲しいね」と主人と意気投合しました。ゴリラパンは1個350円で日テレ屋汐留店で金曜日のみの限定販売だそうですが、「YANSU」Tシャツ、どこかに売っていないでしょうか…。

「ど根性ガエル」の原作マンガは読んだことがありませんが、「オバケのQ太郎」と「ロボコン」は読みました。
「オバケのQ太郎」で印象に残っているお話は、ラーメン好きの小池さんが美人で料理上手の奥さんをもらって、インスタントラーメンを我慢する生活を送り、最後にはラーメン好きが奥さんにばれて、奥さんの作ってくれた美味しいラーメンを食べるというお話です。
「ロボコン」は、石森章太郎先生の描くロビンちゃんのことを、子ども心にとても美人で色っぽいと感じたのを覚えています。TVの実写版ロビンちゃんは可愛らしかったですが、マンガのロビンちゃんは、ゼンマイが背中についたロボットで大人っぽくて全く口をききませんでした。背中にゼンマイと言えばあらゐけいいち先生のマンガ「日常」のロボットなのちゃんも背中にゼンマイですが、かけらも色気はありませんね(笑)「日常」大好きです。
2015年9月15日(火)

2015年9月10日木曜日

水と萩尾望都先生

横浜では日曜日の夕方から雨が降り出し、時々止むことはあっても、4日間続いた雨でした。明日は晴れるという天気予報でほっとしました。

しかし、今日の常総市の鬼怒川決壊は信じられない出来事でした。まるで、2011年3月11日金曜日にリアルタイムでテレビに映し出された東北の津波を見ているようでした。水の恐ろしさを目の当たりにしました。

「モザイク・ラセン」の微晶湾、「銀の三角」の水辺、「マージナル」の洪水。
萩尾望都先生の作品には水辺が舞台のものや水がドラマティックに使われるものがあります。「銀の三角」の水辺では、番う季節のために禊を行い、「モザイク・ラセン」では、人々は微晶湾の周りに住んでいます。食(日蝕?)に湾の水かさが増し、黒の王は滅び、人々は恐怖から逃れます。「マージナル」は特に、子どもの生まれない男だけの不毛な世界の全てが洪水に呑み込まれ、命を宿す力のあるキラも呑み込まれていきます。そして再び、氷に閉じ込められていたもう一人のキラが地球に降り立ち、新しい命が生まれる予感を持って終わります。

水は、ただ怖いだけではないのですが、それでも今は、この長く続いた雨と溢れ出た水がこれ以上の災いを起こさないように祈るだけです。
2015年9月10日(木)

2015年9月9日水曜日

マンガ家の描く文庫本カバーイラスト

小学校で朝から読み聞かせのボランティアに入った時のこと。娘の教室で絵本を読んだ後に図書室に行き、他のクラスで読み聞かせをしたボランティア仲間と学校司書の方を交えて、しばし本について語りました。

最近、娘の通う学校の学校図書館では子どもたちにライトノベルが人気で、それもライトノベルをゲーム化したものをゲームからライトノベルへと辿り着く子どもが多いようです。そんな中、子どもからリクエストがあったということで購入した本に、赤川次郎先生の『三毛猫ホームズ』シリーズがありました。ところが、リクエストをしたのは男の子だというのに『三毛猫ホームズ』のカバーイラストは女の子が好む少女マンガ的な可愛らしいものでした。これでは男の子は借りないかもしれないねとみんなで話しました。

私も中高生の時に赤川次郎先生の本をたくさん読みました。当時の赤川次郎先生の本のカバーイラストはイラストレーターの北見隆さんや永田力さんの素敵なものでした。その頃、私は赤川次郎先生と並行して新井素子先生の作品もたくさん読みました。新井素子先生の『星へ行く船』シリーズは竹宮恵子先生のカバーイラストでした。でも、これが当時、竹宮恵子先生のマンガ『私を月まで連れてって』が大好きだった私にはたまりませんでした。今でも、竹宮恵子先生のカバーイラストとともに『星へ行く船』の新井素子先生特有の文章を読むと中高生の頃の気持ちが蘇ります。高校生の頃は、山崎太一郎さんが私の理想の男性像でした。

今なら、マンガ家の方がカバーイラストを描いた文庫本を買うのには抵抗がありますが、小畑健先生が描いた太宰治の『人間失格』、吉野朔実先生の『こころ』『三四郎』『坊ちゃん』…発売当時、名作小説のカバーイラストにマンガ家を起用して売り上げを伸ばしたと話題になりましたね。ライトノベルならいざしらずと思ってしまうのは私の了見が狭いのでしょうか。
とりあえず、『三毛猫ホームズ』シリーズは男女問わず読めるように抵抗感のないカバーイラストになるとよいですね。
2015年9月9日(水)

2015年9月8日火曜日

「スピカ」短編でここまで描ける力

10年来の友人の娘が今、高校で漫研に所属しています。彼女が初めて我が家に遊びに来たのは、まだ私の娘が2歳で彼女が10歳、よく面倒を見てくれて助かりました。そんな彼女に花火大会で会った時に「短編マンガってどう描くの?6ページで描かないといけないんだけど」と聞かれました。その時にぱっと思い浮かんだのは萩尾望都先生の16ページ作品「半神」でした。あの短いページ数なのに泣かされ、考えさせられ、そしていつまでも心に残る、萩尾望都先生の凄さを感じさせられた作品でした。

面白い長編を描くマンガ家はたくさんいます。でも、魅力的な短編を描くのはなかなか難しいと思うのです。デビュー時には、どのマンガ家も短い作品を描いています。少女マンガの投稿作品の規定ページ数である16ページは、起承転結の基本ですが、これがなかなか難しいと思うのです。とびきり面白い16ページ作品でデビューした!というマンガ家というのは記憶にありません。川原泉先生の「ジュリエット白書」は面白い作品でしたが、HMC受賞作品ということで、まだまだこれから伸びていくという感じでした。それでも、結局、デビューをするとギャグマンガやエッセイ形式のマンガでない限りは、ページ数が32ページ以上になるのが普通です。LaLaでは時々、番外編(最近はスピンオフとかいうのでしょうか?)で本編からそれた内容のものが16ページ位の短編になることがありますが、それは既にキャラクターが確立された上で描く物語なので、通常の短編マンガとはまた違った感じだと思います。とにかく、力のあるマンガ家は連載やボリュームのある読み切り作品を描くわけですから、短編を描いてもらえる機会は滅多にありません。

1987年と1988年に白泉社から『Short Stories』という読み切りの短編作品だけの雑誌が出ました。長くて20ページ、大体16ページか8ページの短編作品を集めた雑誌でした。LaLaで活躍するマンガ家の中では大島弓子先生や玖保キリコ先生、坂田靖子先生などもいて、普段はLaLaで描くことがなかった松苗あけみ先生、小椋冬美先生、川原由美子先生、ふくやまけいこ先生、さべあのま先生、藤原カムイ先生、楠桂先生、よしまさこ先生なども描かれていました。(コミックホームズ参照 http://comich.net )その中で、私の記憶に残っているのは、残念ながら玖保キリコ先生の「眠り姫ちゃん」だけです。

羽海野チカ先生の初期短編集「スピカ」には、「冬のキリン」6p、「スピカ」28p、「ミドリの仔犬」24p、「はなのゆりかご」24p、「夕陽キャンディー」6p、「イノセンスを待ちながら」6pの6作品とあとがき1pが収録されています。「イノセンスを待ちながら」はエッセイですから除外するとして、他5作品はこのページ数でここまで描けるのかと唸らされるばかりです。どれも、とても面白い作品だと私は思います。(面白いというのはガハガハ笑うという意味ではありません)「冬のキリン」と「夕陽キャンディー」は特にそうです。画力が素晴らしいのはもちろんですが、本当に読み応えがあるマンガです。「夕陽キャンディー」はBL誌に掲載されたものですが、もし他の掲載誌でも、このマンガの設定は片方が女教師や女子高校生だとダメな気がします。男子高校生と教師というのがこの6p作品独特の雰囲気を作っています。「冬のキリン」は、右綴じに縦書きのセリフという中に帯を横断してモノローグを入れるという羽海野チカ先生がよく使われる手法で主人公の気持ちが描かれていて、ぐっときます。また、それがモノローグだからこそ、お父さんの慰めの言葉がピント外れになり、これがまたぐっとくるのでした。「スピカ」は、デビューしたばかりのマンガ家が描きそうな設定なのですが、画力もストーリーも圧倒的です。「ミドリの仔犬」「はなのゆりかご」にしても、文句なく面白い作品です。
短編でこれだけ描けるというのは、本当に凄いと思います。羽海野チカ先生には脱帽です。
2015年9月8日(火)

2015年9月7日月曜日

アシナガバチと手塚治虫先生

私の家の門扉の左上、隣の家の二階出窓の横にアシナガバチの巣があります。

主人にアシナガバチの巣のことを話したところ、役所か業者に連絡して巣を取ってもらえと言われました。インターネットで検索するとアシナガバチは活動の止んだ夜中に殺虫剤をかければ駆除は比較的容易にできるとのことでした。巣が人の出入りが多いすぐ側にある場合は、駆除した方がよいそうですが、アシナガバチは庭木などにつくイモムシなどを食べてくれる益虫で、人に害を及ぼすことはあまりなく、巣が手に届かないような高所にある場合は無理をして取らずに共存した方が良いとのことでした。秋になると雄は死に、雌は巣を離れて越冬するということで、今年使用した巣に翌年戻ることはないそうです。それで結局、アシナガバチの巣を駆除するのはやめることになりました。

私は毎日、アシナガバチの巣を眺めます。このところ、雨が続き、場合によってはこの季節にはちょっと寒く感じるほど気温が下がる日もあります。そんな時、何匹ものアシナガバチが巣の側の壁にとまっているか、巣にしがみついてじっとしています。10月には巣を引き払うようなので、あと少しのことなのですが、例年にない気温の上下に何となくアシナガバチがかわいそうな気持ちになり、見守っている状態です。

1977年、講談社から手塚治虫漫画全集が刊行されました。まだ、手塚治虫先生はご存命で、私はリリカで「ユニコ」を読んだ影響もあり、手塚作品に興味を持っていました。それで、友人宅にあった「三つ目が通る」を読んだのですが、まだ小さかった私はすっかり怖くなって、以来、手塚作品を敬遠することになりました。黒いカバーが印象的でした。
1989年、昭和が平成元年になった直後、手塚治虫先生が亡くなると手塚治虫漫画全集が増刷され書店にたくさん並びました。その頃には手塚作品への恐怖もなくなり、私は兼ねてからきちんと読みたいと思っていた「ミクロイドS」を購入しました。子どもの頃に一生懸命に見たTVアニメだったからです。

「ミクロイドS」は虫と人間の戦いです。マンガ版はアニメ版よりうんとシリアスな展開でした。最後にはあわや人間が負けるのか?というところで、虫に攻撃されない人間が出てきます。浮浪者のようなみすぼらしい姿をした二人(確か二人だったと思うのですが、三人かも)の男性は生まれてから一度も虫を殺したことがないというのです。だから、虫も彼らを攻撃しないと。このシーンがずっと私の胸に残り、できるだけ虫を殺さないで生きようと考えしばらくは実行にうつしていました。でも結局、まだ話すこともできない赤ん坊だった娘が「あ〜ん」と泣いた時、娘の額に止まって血を吸っている蚊を見つけ躊躇なくパチンと叩いて以来、虫を殺さないという誓いは脆くも崩れたのでした。

それ以来、蚊とかゴキブリとか毛虫だとか害虫と認識される色々な虫を駆除してきました。それでも、ふと「ミクロイドS」に描かれた「一度も虫を殺したことのない男性」を思い出すことがありあります。そこに込められた虫好きの手塚治虫先生の気持ちを考えるのです。どんな気持ちであの作品を描いたのでしょうか。ギドロンのように高知能を持った虫というのはあり得なくても、スズメバチ、セアカコケグモ、デング熱を媒介するヒトスジシマカ、今でも人が恐れる虫はいます。やがては人の手に負えなくなるほど恐ろしい虫が現れ逃げ惑う日が来るのでしょうか。

にわか平和主義的意見で笑われてしまうかもしれませんが、私は、無駄な殺生をせず、虫の特性を理解して、平和に共存を続けられたら良いと願うのです。
2015年9月7日(月)

2015年9月4日金曜日

少女マンガと心理学と司書と

司書資格の情報サービス論のテキストを読んでいたら、あれ?と思い手が止まりました。レファレンスインタビューに有用とされる技法でコーチングについて書かれていたのです。ペーシングとかミラーリングとか、コーチングでなくてもカウンセリングで使われる懐かしい技法について書かれていました。

私が、カウンセリングの学校で心理療法を学び通信の大学で心理学を学んだのは30代の頃。勉強がとても楽しくて、周りには心理学やカウンセリングに意欲的な仲間がたくさんいて、本当に楽しい時間を過ごしました。みんなが「カウンセラーになる」と言っていて、事実開業した友人やカウンセラーの団体に所属して精力的に職業としてカウンセリングを行っている友人もいます。私もカウンセリングを仕事にしようと一時期は本気で思っていました。多分、私でもロジャースの来談者中心療法なら未熟ながらカウンセリングができるでしょう。しかし、私は30歳で自分自身を見つめ直す必要があったほど暗雲のたれこめた20代を過ごし、人と積極的に関わろうとするほど健全な精神構造を持っていません。カウンセリングはできても、比重を増すクライエントの依存に耐えられなくなるのです。これではカウンセラーは務まりません。私には、心理カウンセリングはできないということがわかりました。

試行錯誤というのか紆余曲折というのか、周りからも勧められて図書館司書資格を取得することになったのですが、司書の勉強をしてみると、司書に重要なレファレンスサービスにはコミュニケーションスキルが必要で、カウンセリングの技法が有用とあるではありませんか。私は一瞬呆然としました。これは、なんでしょうか?私に心理学から離れるなという神様の啓示でしょうか?まぁ、ただの偶然なのですが…。

少女マンガにも心理学的な側面を強く感じるものがあります。三原順先生の「はみだしっ子」では、自閉症児のクークー(マーシア)が出てきますし、グレアムの精神は雪山事故で現実から乖離します。一条ゆかり先生の「砂の城」のナタリーも愛するフランシスを失うかもしれないという不安に圧し潰され、流産によって現実を受け入れられなくなります。「残酷な神が支配する」や「バルバラ異界」を読むと、萩尾望都先生自身が心理学に精通されていることがとてもよくわかります。これらに描かれた非日常的でドラマティックな世界でなくとも、少女マンガは人の心理を細やかに描き出すことを得意とし、その描写の妙に唸らされることがしばしばあります。

結局、私は小さい頃から少女マンガの影響を強く受け、カウンセリングには不向きですが心理学が好きなのです。司書がカウンセリングの技法に助けられて行うレファレンスインタビューは心理カウンセリングほど深刻ではありません。利用者の求めるものに気づき、物事にこだわって情報を探し出すという作業は案外私に向いているかもしれません。兎にも角にも、司書の勉強を真面目にして、きちんと資格を取ろうと思います。
2015年9月4日(金)

2015年9月2日水曜日

「ベルばら」のルイ・シャルル王子

 今日、突然ママ友から「『ベルサイユのばら』の最終回の辺りで、王子様が塀の上で歌をうたうシーンはある?」と聞かれました。ご主人がそういうシーンがあったと記憶しているということで、奥さんは「覚えていない」と言い、それで私に質問がきたのでした。私は「あるよ」と即答しました。実は私は『ベルサイユのばら』の最終回をきちんと読んでいないのですが…。

東京ムービー新社が作成したTVアニメは欠かさず見ていました。アニメソングもバッチリ歌えます。大人になった面長な輪郭のオスカル様より、アントワネットの近衛兵になりたての少年?っぽさが残る丸い輪郭のオスカル様が好きでした。

でも、TVアニメ放送よりももっと以前に『ベルサイユのばら』の絵のついたポケットティッシュがありました。スーパーのレジ前に並んだ「ベルばら」のティッシュが欲しくて欲しくて(笑)オスカルの絵が格好良かったのです。マーガレットコミックス4巻「黒い騎士をとらえろ」のカバーイラストと同じイラストがシールになってティシュの中に入っていたと思います。ネットで画像検索すると、ティッシュそのものにもどうやら『ベルばら』の絵がプリントされていたようです。すごいですね。

実際に私がマンガで持っていた『ベルサイユのばら』は3巻「ゆるされざる恋」と4巻「黒い騎士をとらえろ」だけだったと思います。マリーアントワネットが既にフェルゼンに夢中になっていた頃、オスカルもフェルゼンを好きになって、どこかの令嬢を装ってドレス姿で舞踏会に出るシーンがありました。マリーアントワネットはプチトリアノン宮とかいうのをこしらえてフェルゼンと逢瀬を重ねるのだったと思います…。後半はちっとも読んでいません。でも、「ベルサイユのばら」が最終回を迎えると聞いて、雑誌を立ち読みした記憶はあります。フランス革命は終わっていて、ロザリーが回想していたような気がします。本当にあやふやな記憶で「ベルばら」ファンの皆さんには申し訳ありません。

そんな私がなぜ、王子が塀の上で歌うシーンを覚えているかというと、最近雑誌に掲載されていたのを見たからです。図書館で借りてきた雑誌penの2013年6月1日号「少女マンガ超入門」だったと思います。これは、雑誌の表紙も『ベルばら』です。ただ、最近マンガを取り上げている書物をいくつかまとめて読んだので出典が違ったら申し訳ありません。

とにかく雑誌には、塀の上でルイ・シャルル王子が革命歌をうたうシーンが取り上げられていました。母マリー・アントワネットから引き離され、既に王子として暮らした記憶もなく、革命歌をうたっているシーンです。マリー・アントワネットが投獄されているコンシェルジュリーについて「悪い女が投獄されている」と聞かされて「はやくくたばればいいのにね」とルイ・シャルルは無邪気に言うのですが、母親としてみると本当に悲しいシーンです。

その後、ルイ・シャルルは幽閉され酷い状態で死に至ったようです。わずか10歳でした。いつか火種になるかもしれないと思われたのかもしれませんが、子どもには罪はないと私は思います。
我が家の小さな子どもたちが、どうか大人の争いに巻き込まれませんように。私には何を変える力もありませんが、世界中の子どもたちの幸せを祈ります。
2015年9月2日(水)

2015年9月1日火曜日

みつはし ちかこ先生の「小さな恋の物語」

先日、偶然NHKでみつはしちかこ先生の特集を見ました。

昔々、友達にみつはしちかこ先生の大ファンがいました。それが誰だったか…思い出せなのですが、ズラリ揃った「小さな恋の物語」を貸してくれました。でも、当時は4コママンガはほとんど興味がなく、何だかピンとこないまま、さらっと読んで返した記憶があります。
でも、NHKの放送の中に映し出される「小さな恋の物語」を見て、絵もユーモアも素晴らしいと感じました。それに、あの片思いは、はたから見ればどうみても両思いでカップルとしか言いようがなく、一般的な少女マンガがこの設定なら、長く連載するには色々な人物が登場して二人の仲を邪魔をすることで連載を引き延ばすしかないようなところです。それを「片思い同士」の楽しくて時々ちょっと切ない感じもみせながら日常のエピソードで綴っていけるというのは、4コマだからなのか、みつはしちかこ先生だから描けるのか、感心するばかりです。実際の学生生活なら、特に昔は校内で付き合う男女も珍しく、気が合う相手と「一緒には過ごしているけれど特に告白もせず」という距離感はいたるところに見受けられたのですが、それはマンガにするにはちょっと平板すぎてつまらないというか、当人同士にはよいけれどマンガのネタにはならないと思うところです。でも、だからこそ自分自身の片思いを投影したり、サリーにまだ見ぬ恋の相手を投影したりということが可能になったのではないでしょうか。どこにでもある平凡な恋をマンガにしたことで多くのファンの心をつかむことができた作品、それが「小さな恋の物語」だったのだと思います。

昨年、連載が終了して最終巻が出た時に、宝島社「このマンガがすごい!WEB」にみつはしちかこ先生のインタビューが掲載されました。

宝島社「このマンガがすごい!WEB」 みつはしちかこ先生インタビュー前編
http://konomanga.jp/interview/15994-2

宝島社「このマンガがすごい!WEB」 みつはしちかこ先生インタビュー後編
http://konomanga.jp/interview/16055-2

先日、私が見たNHKのテレビ放送についてもつぶやかれていました。
みつはしちかこ先生の公式Twitter
https://mobile.twitter.com/ChikakoM_HP
2015年9月1日(火)